私は、プノンペンの「未来の光」孤児院の創立者で院長を務めております、ヌオン・パリーと申します。
当院の前身となる施設は、「サイト2」というカンボジア=タイ国境部の大規模難民キャンプに設立されました。私は「サイト2」で十年間働いた後、1993年にプノンペンに戻り、プノンペン郊外の私の所有地に「未来の光」孤児院を設立しました。当時、私と一緒にプノンペンに戻った孤児が90名ほど居ましたが、非常に困難な状況にありながら、彼らの衣食住を世話し、公立学校に通わせ、当院で英語の補習教育を受けさせることができました。どうしてそれが可能だったのか。私自身、思い返しても不思議な思いがします。神様のご加護があったとしか思えないのです。
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ワールドメイト 未来の光孤児院(FLOW)
Future Light Orphanage of Worldmate |
私が、初めて深見東州氏にお会いしたのは、1996年、バーナード・クリッシャーさんを通してでした。私は、息子のヌオン・ソテロを通して、クリッシャーさんと面識があったのです。深見さんが、初めて当院を訪れて下さったときのことを、まるで昨日のことのようにはっきり覚えています。深見さんは、子供好きで本当にあたたかいお人柄の方です。深見さんと菱研の皆様は、その場でここの子供たちの里親となることと、宿舎を建設することを申し出て下さいました。また、日本からマッキントッシュコンピューター30台の寄贈を受け、コンピューター教室を建設して下さいました。子供達に、コンピューターを教える教師を雇うことも、援助して下さいました。その御厚志への感謝を表すため、私達は深見さんに「会長」の称号を贈り、「尊敬する深見東州先生」と呼んでいます。
その時以来、深見さんは毎年必ず、時には年に何度も当院を訪れて下さっています。ご訪問の際には、いつも、日本の里親からのプレゼントに加えて、ご本人からも素晴らしいプレゼントを持ってきて下さいます。1996年から1999年までに支援して下さった子供達は、のべ320人に上り、その多くは現在、農村部の子供達にコンピューターを教えています。また様々な職について、生産的な人生を歩み出している卒業生たちも、たくさんいます。
初代「菱研寮」は木造のため最近傷みが激しく、耐用年数を超過していましたため、ワールドメイト・グループ様がコンクリート造りの、「ワールドメイト・ハウス」を新築して下さり、2006年1月24日に落成いたしました。落成式典には、ワールドメイトの方々150人がプノンペンを訪れて下さいました。
そしてこのたび、当院とワールドメイトの関係をより公式のものとするため、当院の名称を、「ワールドメイト未来の光孤児院(FLOW)」と改称する名誉に浴することができました。私達は、ワールドメイトならびに尊敬する深見東州先生と、より緊密な関係を深めていくことができることを、この上ない喜びとし、心から有り難く思っています。どうもありがとうございました。